突然ですが、こちらの画像をご覧ください。
![](https://static.wixstatic.com/media/4bb04f_1e113e794a9d4a2a8c83ebd028edd23a~mv2.jpg/v1/fill/w_800,h_533,al_c,q_85,enc_auto/4bb04f_1e113e794a9d4a2a8c83ebd028edd23a~mv2.jpg)
![](https://static.wixstatic.com/media/4bb04f_9a991beb43f64164aab651a85e127928~mv2.jpg/v1/fill/w_670,h_352,al_c,q_80,enc_auto/4bb04f_9a991beb43f64164aab651a85e127928~mv2.jpg)
いかがでしょうか。
考えるまでもないですね。セブンイレブンの看板とユニクロの店構えです。
なんてことはない見慣れた風景で、特に引っ掛かりもなく、「それで?」という感じでしたか。
では、続けてこちらをご覧ください。
![](https://static.wixstatic.com/media/4bb04f_23179573ed0f422fab1411525bced17a~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_551,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_auto/4bb04f_23179573ed0f422fab1411525bced17a~mv2.jpg)
こちらは、国立新美術館にて2021年5月10日まで開催されている佐藤可士和さんの個展です。
壁一面に企業のロゴが飾られており、よく見ると先ほどのセブンイレブン(親会社のセブン&アイHD)とユニクロのロゴもありますね。
そう、先ほどの写真は二つとも佐藤可士和さんのブランドデザインによって生まれたものなのです。
僕も佐藤可士和さんのファンの一人として覗いてきたのですが、印象的だったのは展示されている作品よりも、それを熱心に撮影するお客さんの方でした。
「何を見ているか」は案外どうでも良い
冒頭の2枚の写真はどこでも見かける、いわば日常の風景です。
道を歩いている時、車を運転している時、ショッピングに来た時、ロゴが目に入ったとしても、写真に納めたりはしないでしょう。
ところが、美術館という建屋の中で飾られるだけで、それは被写体に変わるのです。
これは、とても面白い現象です。
「アートが美術館に飾られている」のではなく、「美術館に飾られているからアート」なのです。
繰り返しますが、冒頭の2枚の写真と展示されているロゴは全く同じものです。
人は「何を見ているか」は案外どうでも良くて、それ以上に、どこで、どんな文脈で見ているかで対象の価値は変わります。
そして、もっと面白いことに、この個展を見に来た人は美術館の外に出た瞬間から世界の見え方が変わります。
道端でセブンイレブンの看板を見た時、ショッピングセンターでユニクロに立ち寄る時、脳裏には「佐藤可士和のデザイン」という記憶が浮かぶでしょう。
毎日の見慣れたはずだった光景は、この個展を境に「まちにはデザインされたものが溢れている」という解像度に通されるのです。
毎日がつまらない原因は、世界の見方がつまらないから
このことは重大な示唆を与えてくれます。
人は、目に映る世界をありのまま捉えているのではなく、それ以前の経験によるフィルターを通じて「見たいように」解釈しているということです。
もしも「毎日がつまらない」と思えたとしたら、その原因は身の回りの世界そのものではなく、世界の見方がつまらないからです。
セブンイレブンやユニクロのロゴを気にも留めず通り過ぎるか、「佐藤可士和のデザインだ!」と目をやるかで、世界は大きく異なります。
さらに、ありふれて見えていた看板にすらクリエイティブの魔法が使われていたということは。
もしかしたら、このブログを見ているあなたのスマホやパソコンも、同じように誰かの思いが込められたデザインなのかも知れません。
このように、たったひとつの気付きがきっかけで「もしかしたらこれも」「きっとあれも」という連鎖的な想像に繋がり、世界の色合いが鮮やかに変わっていきます。
世界は簡単には変えられません。でも、世界の見方を変えることはあなた自身に委ねられています。
Comments