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  • 執筆者の写真TAG Think About Goals.

そうするしかなかった

こんにちは、林です。


Think About Goalsは間もなく法人として立ち上がります。

法人設立までの歩みは、共同創業者の森下がまた改めてここに綴るとして、今日は僕の個人的な話を聞いてください。


よく「どうして起業することにしたの?」と聞かれます。


どうしてでしょうね?他ならぬ僕自身がよく分かっていません。振り絞るように答えを言うとすれば、「そうするしかなかった」が最も近い言葉です。


そうするしかなかった-


東大阪での出会い

今からもう10年以上前になります。僕は大学を卒業したばかりの駆け出しの社会人。配属されたのは、東大阪の営業部署でした。東大阪と言えば、日本でも、いや世界でも有数の技術を有する中小企業のまち。小型人工衛星・まいど1号を打ち上げるなど、その技術は侮れないものがありました。


僕は、彼らに自社の提案を売り込む営業でした。社会人として未熟で、時々怒られながらも、毎日無我夢中で現場を駆け回っていました。営業成績はさっぱりだったけど、少しでも「欲しい」と思ってもらえるように提案書を仕上げ、ダメだと言われても何度も何度も足を運んでいました。


そんな中、僕の提案書を気に入ってくれた社長がいました。「お前の提案内容はよく分からんけど、資料はよくできているし、綺麗やなあ」と言われた時、僕は嬉しくてたまらなかった。いや、営業成果に繋がらないのに何を喜んでいるのかという話ですが、当時の僕は自分の力が認められたことに舞い上がるような思いでした。


その社長は「良ければ、うちの会社の営業資料や広告デザインをやってみてくれないか」と僕を誘ってくれました。本業とは全然関係ないけれど、もう二つ返事で引き受け、毎日のようにスケッチを見せました。


のめり込んでいったデザインの仕事

「全然ダメ」

「まったく伝わらない」

「表面だけ綺麗で、何が言いたいか分からない」


待っていたのは、意気揚々と見せたデザインが容赦なく社長に切り落とされる日々。たぶん何百枚と書いたと思うのですが、そのたびに厳しい指摘で返されました。もちろん報酬は支払ってくれていたのですが、僕は最初の嬉しさも忘れて、悔しくて悔しくて、どんどんデザインにのめり込んでいきました。


あれほど夢中になれたのは、それまでの人生で初めてだったかも知れない。お金がなかったから、書店でデザインの本を片っ端から立ち読みして頭に叩き込み、通勤電車では吊革広告を凝視して共通するレイアウトを学び、まちを歩いてもポスターや看板、百貨店の広告コピーなど目を皿にして観察し続けました。


いつの間にか、僕は本業の会社の中では「デザイン力のある人材」という評価が定着するようになっていました。それでも社長はなかなか首を縦に振ってくれない。絶対にこの人を認めさせてやりたい。いま思うと、どちらが本業か分からないですね。


腰抜けの自分と、社長の言葉

2009年。社長は突然、僕の目の前から姿を消すことになります。アメリカのサブプライムローンの信用が崩壊し、瞬く間に金融不安が世界に広がりました。あらゆる取引が停止され、キャッシュの乏しい会社から資金繰りに詰まっていく…。リーマンショックの余波が東大阪にも訪れました。


その会社は破綻し、僕は営業担当として債権を回収に行く役割を担いました。あれほど夢中になれるものを教えてくれた人に、僕は金庫からお金を引っ張り出す仕事をしなければならない。回収担当の部署の先輩と一緒に会社の玄関に立った時、社長はいつもよりも小さく見えました。でも、僕の姿はそれ以上に小さく、背を丸めていたことでしょう。


殴られても仕方ないよな。うつむく僕を尻目に先輩は現金を丁寧に数え、最後の1円まで確認すると「それではこれで」と席を立ちます。僕はもうこれで最後だと勇気を振り絞って、社長の目を見ました。その時。


「遠い国の信用不安が俺たちの生活を脅かすなんて、おかしいと思わないか」


いつもとは全く違う疲れ切った声で、彼は僕にこう言ったのです。僕は咄嗟に答えられず、ただただ何度も頷く以外にできませんでした。腰抜けの自分が情けなかった。


「お前には力がある。俺は分かっている。力があるんだから、手を差し伸べられる人間になれ」


先輩の運転する車で、僕は泣いていました。「お前、今日のこと忘れるなよ」と言う先輩も、なんだか声が震えていたような。


そうするしかなかった

それから時が経ちました。時々、当時のことを思い出すことはあっても、当時の切迫感も、身を切り刻まれるような切なさも薄らいでいます。


2020年。新型コロナウイルスの猛威の前に、あの時と同じように、生活が立ちいかなくなった会社、人がたくさんいます。


幸い、僕は影響をそれほど受けていません。仕事がなくなったわけでも、経済的に困窮しているわけでもない。もともと会社に出勤すること自体にも疑問を持っていて、リモートワークの急速な普及は、むしろ恩恵でもあります。だから、切迫感を持てていないかも知れない。困っている人たちがいるのに、遠巻きに見ているだけなのかも知れない。


僕は、あの時の社長に報いたい。僕の力を認め、でも厳しく接することで夢中になれるものを与えてくれた社長に、僕は手を差し伸べられる人間だと胸を張って言えるようになりたい。新型コロナの中で傍観者を決め込み、自分にできることすら始めないなら、僕は社長の前で震えた腰抜けのままです。


それが起業する動機かと言うと、そうではありません。ラフでゆるく、単純に面白そうだな…という思いの方が強いです。けれど、それで始めた半歩が10年以上前の物語と繋がって、腰抜けの自分に勇気をくれているような気がするんです。


「そうするしかなかった」と。

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